「こんな夜更けにバナナかよ」
今話題の映画を見てきました。ネタバレになりますので、詳しく書くことは出来ませんが、ボランティアの力を借りて自宅で充実した生活を送った筋ジストロフィーの方の実話です。「人は誰でも、他人に迷惑をかけながら生きている」と主人公が語る場面が印象的でした。他人に迷惑をかけてはいけないと、子どもの頃から教えられた私にとって、衝撃的な言葉でした。他人に迷惑をかけてもいい、甘えてもいい。でもそれによって他人もそこから得るものがある。ヒトは他人と関わり合いながら(別な表現で言うと、迷惑をかけながら)成長してゆく社会的動物であると再認識しました。 さらに、劇中の障害者セミナーで参加者が「障害者が住みやすい社会を創ることは、みんなの役に立っている」と語り、具体例として駅などの公共施設のバリアフリー化やエレベータの設置などにつながり、現在はそれを高齢者や小さなお子様をお持ちの方が活用されている事を紹介されていました。 この場面を見たときに、リハビリテーションの考え方の基礎となっている、ノーマライゼーション(normalization)という言葉を思い出しました。それは1
「見込みの呪縛」
時間は途切れずに過去から未来にかけて流れてゆくだけなのに、地球の自転や公転を用いてそれを区切ってしまおうというアイデアを思いついた人は、天才だと思います。朝日を見つめながら今日こそはと三日坊主の自分を叱咤激励し、新しい年のカレンダーの最初のページをめくるときに、誰しもが「今年こそは」と決意を新たにするのではないでしょうか。 惰性に流される生活を送っていると、思い描いていた理想から次第に離れてゆき、だんだんとそれを受け入れてしまう自分がいやになってきます。そして、低くなった自分の理想を、あたかも最初からそれが求めるべき理想であったのだと考え直し、賢い「大人のように」振る舞ってしまいます。こんなもんだろうという「見込み」に従った行動を続けることによって、最終的にその「見込み」が達成されることを、私は「見込みの呪縛」と呼んでいます。 実はリハビリテーションの現場で一番恐れないといけないのは、まさにそれです。障がいを抱えた患者を目の前にすると、これまでの経験から、将来の回復度合いを推量する「見込み」を持ちます。そしてその「見込み」に従ってリハビリ内容を組
2019年も宜しくお願いします。
もう何年も、サイトを放置していました。「アウトプット大全」という書籍を読み、アウトプットの大切さを再認識しました。勉強したことやなんとなく考えていることなど、つれづれに書き連ねてゆきます。どうぞよろしくお願いいたします。